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大学生活とSNS、テクノロジーの意味を考える

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数年前より、新型コロナウイルス感染症の拡大によって生活は大きく変わり、学生生活の形も以前とは様変わりした。オンライン講義が当たり前になり、インターネットやSNSを通じたコミュニケーションが大きな部分を占めている。そんな時代の空気感、大学生にとっての肌感覚とはどのようなものだろうか。

小澤 杏子(おざわ・きょうこ)
小澤 杏子(おざわ・きょうこ)
株式会社ユーグレナ 初代CFO(Chief Future Officer:最高未来責任者)
株式会社丸井グループアドバイザー
おざわ・きょうこ/2002年生まれ。帰国子女。バスケットボール部で活動し、ジュニア農芸化学会で銀賞などを受賞。体育祭実行委員会委員長も務め、ボランティア活動なども実施。19年10月にユーグレナ初代CFO(最高未来責任者)に就任。21年4月に早稲田大学社会科学部入学。日本原子力学会誌ATOMOΣ(アトモス)で時論、コラムを寄稿。21年11月に丸井グループのアドバイザーに就任。

コロナ禍という特殊な環境下の学生生活

今回は、まず私の大学生活の話から始めたいと思います。大学生になって1年半が過ぎましたが、ずっとコロナ禍の中です。1年生の時は平均すると週に2回程度、2年生になってからは3回程度キャンパスに行き対面の講義を受けています。授業の選択の仕方によって大学に行く回数は増減しますが、私はどちらかというと通う機会が少ないほうだと思います。

他大学のことはよくわかりませんが、オンライン講義がほとんどという大学生もいるかもしれません。私の通う大学はリアルのコミュニケーションを重視しているようで、比較的対面の講義が多いようです。

10代後半から20歳前後の時期、私を含めて多くの若者が非常に特殊な環境で、学生時代を送っています。それが将来的に本人、あるいは社会に対してどのような影響をもたらすのか、とても気になります。

入学前にイメージしていた大学生活と現実との間には、大きなギャップがありました。例えば、入学してすぐの時期には「サークルの勧誘のビラを持ちきれないくらい渡される」という大学の名物イベントがあったのですが、私たちは一度もそれを経験せず、見ることもありませんでした。春のキャンパスは毎年人で溢れているはずなのに、そのような景色もいまだ見ていません。

1人の大学生として切実に感じるのは、現代の大学生は友だち作りに大変苦戦するということ。コロナ禍でも数少ない対面の講義はありがたいのですが、席の間隔を空けて座るので隣の学生とやり取りしにくくなりました。ゼミを除けば、サークルくらいしか人間関係を深める機会はないのではないでしょうか。私自身はサークルに入ってないので、1年生の時などは、以前と変わらず高校時代からの友人らと行動していました。

もっとも、オンライン講義は効率的という見方もあります。実際、私にも好都合なところがありました。ユーグレナでのCFO経験を経て、学外でもいくつかの活動もしているので、そのための時間的な余裕をつくりやすいからです。大学と大学以外の時間をバランスよく調整することで、様々な活動が容易になりました。

ただ、対面とオンラインは一長一短。それぞれに良さがあり、課題があります。大学の先生方も悩んでいるようです。多くの先生から「なぜ対面で講義をする必要があるのか、対面の価値を示す必要がある」という話を聞きました。学生が納得するような価値をどうすれば示せるのか、オンラインとは何が違うのか――。

簡単には答えを出せない問いだと思いますが、講義の内容がより良くなるためのきっかけにはなるはずです。おそらく、大学以外の様々な場所でも、対面の価値が問い直されていることでしょう。そこから、何か新しいものが生まれる可能性もあります。だとすれば、コロナ禍にも何らかの効用があったといえるかもしれません。これだけ膨大な社会的コストをかけたのですから、私たちはコロナ禍からもっと多くの気づきや教訓を得るべきではないかと考えています。

SNSにはメリットとデメリットがある

ここ数年の間に大学ではオンライン講義、職場ではリモートワークが広がりました。もし様々なデジタルツールがなければ、コロナ禍にどう対応したのだろうと時折思います。現代の私たちはテクノロジーに依存して生きています。特に大学生などの若者にとって、SNSは欠かせない存在です。

先ほど友だちづくりの難しさについて触れましたが、もちろん新しい出会いが全くないわけではありません。出会って軽く談笑をすると、数分後には「インスタやっている?」など、使っているSNSの話題になり、アカウントを交換したりします。そのアカウントを見れば、その人となりはたいてい分かった気にもなります。キャンパスでリアルに会ってお互いのことを知り合う前に、SNS上で顔見知りになっている人たちもいるようです。

SNSにもメリットとデメリットがあります。まず、1番のメリットとしては、SNSというプラットフォームが自分らしさを自由に体現できる場所になっているということです。本シリーズの第1回で、私の考えるサステナビリティの重要な側面として「個人が自分らしく生きていけること」という話をしました。今の時代では居心地の良い空間をSNS上に作りやすく、これまで社会的なマイノリティだと思って息苦しく感じていた人たちも仲間を見つけやすくなったのではないでしょうか。

それぞれ個人にはユニークな特性があり、ユニークな悩みもあります。自分の抱えている悩みを「誰にも相談できない」と思っている人は多いでしょう。しかし、インターネットのどこか、SNSのどこかには、同じ悩みを持つ人、悩みの相談に乗ってくれる人がいるはずです。そんなコミュニティに出合った時の喜び、安心感はかけがえのないものだと思います。そして、そんなコニュニティが地域的な制約なしに生まれ、成長する。それは素晴らしいことだと思いますし、私はこうした動きをポジティブにとらえています。

一方、デメリットとして懸念しているのは居心地の良い空間を作りやすいが故の、自身が心地いいと思う情報だけを選別して取得してしまうフィルターバブルです。自分にとって心地よい環境に身を置くこと自体には、何の問題もありません。しかし、四六時中そうした環境に居続けると、「これが社会全体だ」と錯覚する人も現れるでしょう。社会の中でまったく異なる世界観を持つグループが対立し、埋めがたい分断が生まれるかもしれません。それは、すでにある程度まで現実化しています。社会に生まれた溝をどのように埋めるか、亀裂をどう修復するか――。それは今後の大きな社会課題だと思います。

SNSのメリットとデメリット
SNSのメリットとデメリット

フィルターバブルの怖さと私自身の対処法

大学という限られた空間だけを見ても、そこには多様な研究テーマを追いかけている人たち、多様な関心を持って学ぶ人たち、本当に様々な個性を持つ人間がいます。その多様さに気づかないまま、心地よい世界に閉じこもるのはもったいないと思います。

世の中は「これが社会の全体だ」と断言できるほど単純ではありません。「何が本当の社会なのか」と問われても、自信を持って答えられる人はいないでしょう。社会は広大で複雑だということは言うまでもない事実なのですから。

私たちがまずできるのは、自分とは異なる意見や主張を知り、別の視点から物事を見るようすることです。これはどこでも言われていることですが、実行することは意外と難しいと感じています。私自身、フィルターバブルを警戒して、できるだけ多くのメディアに接するようにしてきました。ネットメディアだけではなく紙の新聞を毎朝読むこと、書籍にも定期的に触れること。また、多少居心地は悪くても、いろいろな意見が飛びかう空間に顔を出すようにもしています。

多様な知見を身につけることで「社会とは一体何か」を読み解こうとしますが、完全に把握することなど不可能だと思っています。私は常に自分が無知であるということ、そして誰しも立場が違えば感じることも違うということを前提として人と関わり、社会を俯瞰して見れるよう心がけています。

ところで、私が携帯電話を持ち始めたのは小学1年生の時です。小学校の通学時に緊急用で持っていました。スマートフォンを初めて手にしたのは中学1年からです。確か、iPhone 6でした。いわゆる、デジタルネイティブの世代です。

スマートフォンを持ち始めてから10年も経っていませんが、その間のテクノロジーの進化は目を見張るものがあります。そのような進化のスピードに対して、世代差や個人差はあるとはいえ、私たち人間側も対応してきました。

例えば、大学のオンデマンド講義を受ける時、私は1.5~2倍速で視聴します。同年代を見渡すと、これはごく一般的なことです。5年、10年後の学生たちはもっとハイスピードで動画を再生するかもしれません。どれだけ身についたかという学びの中身は評価しにくいと思いますが、オンデマンド講義を2倍速で再生すれば、同じ時間で2倍の講義を受けることができます。学習のスタイルはこれから大きく変化するかもしれません。

テクノロジーは人を幸福にするか

これからはAIやロボットがもっと広範に使われるようになり、人々の仕事や暮らしも大きな影響を受けるといわれています。「AIで失われる仕事」という話題も、様々なメディアでしばしば目にします。社会の激変への対応は、今のうちから議論し準備しておくべきことでしょう。テクノロジーは便利な反面、様々な社会問題を引き起こす可能性があると思いますが、私はどちらかというと期待感のほうが大きい。単純作業をAIやロボットに任せれば、人間はより価値の高いことに時間を使えるようになります。

将来、テクノロジーは半分の人を幸せにし、半分の人を不幸にするのではないか。前者はテクノロジーを「使う人」であり、後者は「使われる人」という分類になるでしょうか。あくまで暫定的なものですが、それが今の時点での私の考えです。もしかしたら、テクノロジーを「使う」側の人間の方がもっと少ない未来の方が現実的なのかもしれません。これも、社会の分断の無視できない側面であり、様々な政策的、社会的な対応が必要になるでしょう。このような文脈で、私が重要だと思うのは教育です。

大学のキャンパスでときどき、私たちよりも何十歳も年上の学生の姿を見かけることがあります。教授ではなく、「学び直し」のために通う学生です。試験の時に、同じ教室で席を並べているので学生だと分かりました。とても素晴らしいことだと思いますし、もっとこのような学び方が広がればいいとも思います。学びに年齢制限はないのですから。

テクノロジーに限らず、世の中の変化のスピードは加速しています。個人が10年おきに、より定期的に学び直しの機会をつくれば、時代にあった知識やスキルを身につけることができるでしょう。また、これから社会に出ていく20歳前後の学生への教育も、よりよくし続けていく必要があるでしょう。

さて、次回は本シリーズの最終回です。これまで触れられなかった話題を拾いつつ、将来に向けての展望を話したいと思います。

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